福本藩陣屋

別名-  付近住所 兵庫県神崎郡神河町福本 現在 大歳神社
2007/12/1 碑・案内板アリ 日本城郭大系


旧福本藩陣屋跡
 この地は 明治維新まで 約二百年の間神崎郡北部の政治経済の中心でした 現在の大歳神社附近一帯が 陣屋形式の藩邸跡です 陣屋の面影は 本殿の南側に残っている池附近に 往時の庭園がしのばれます 木々の間に池が広がり その中の細い道で結ばれた島に月見灯籠があるすばらしい 回遊式庭園地である 又陣屋の構造は 播磨の他の小藩と違い 藩主の屋敷と侍屋敷を一体として 竹矢来を組み防御の体制をかためています 大歳神社は廃藩後大正2年に福本字山根から移されたものです

福本藩池田家陣屋跡
 福本藩池田家の創始は、寛文3年(1663)池田政直から、明治3年(1870)8代徳潤時代の廃藩置県までの206年間にわたり続きました。
 この陣屋跡は、神崎郡北部の政治の中心であった所です。
 福本藩は小藩であったため陣屋形式で現在の大歳神社全体が藩邸跡で、社殿のところに藩主御殿がありました。
 月見燈篭が浮かぶこの庭園は、元禄年間に描かれた絵図面どおりに現存する庭園として貴重なものです。
 庭園の様式は、池泉回遊式庭園とよばれ、池泉の規模や深さなどから考えて、船遊式であり、園池には、蓬莱島を置き武運長久を祈る大名庭園としての特徴があります。

 この地は、但馬・播磨の国境にあり、北は天領(幕府直轄地)生野銀山に接した交通の要所のため、寛文4年(1664年)5月、徳川家康の外戚に当たる池田能登守政直公(祖母が家康の娘の督姫、祖父は姫路城主、池田三左衛門輝政)が福本一万石を与えられ、因幡国(今の鳥取県)鹿野より入部されて以来明治維新まで約200年間、神崎郡北部の政治、経済の中心になったところです。
 建物は、小藩のため陣屋形式で、現在の大歳神社境内全体が藩邸跡で社殿のところには御殿がありました。また、神社参道の両側には家臣の屋敷約100戸が整然と建ち並び、武家屋敷と町家は竹林による天然の防護柵で区切られておりました。
 当時の面影を残すものとしては、月見燈篭が浮かぶ藩邸跡の庭園及び国道沿いに残っている武家屋敷数軒、防護を目的とした竹林等があります。
 これより北方へ2百米のところには藩主池田家の菩提寺、一関山徹心寺があり、寺の奥まった杉木立の中には、8代にわたる歴代藩主の墓があります。
 墓石に池田姓のほか松平の姓を刻むものがありますが、これは慶長14年に輝澄公が家康に謁見し、松平の姓を賜ったためです。

                           

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